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とっておき新着情報

野口英世博士の孫という人にお会いしました。

ニューヨークから、お早ようございます。

暑いですね。ニューヨークも湿度は日本に比べるとだいぶ楽なのですが、でも毎日うたっています。

この前、野口英世博士の孫という人にお会いしました。

ニューヨーク郊外の会議センターでの全米細菌学会(仮名)が終了して、私の夏休み前の通訳の仕事も一段落したところです。なにせ5日間にわたって、午前中は研究発表、昼休みをはさんでパネル・ディスカッション、夕方から深夜にかけては論文の翻訳と送稿、5人かかりでしたが、大変な仕事でした。

それでも最終日は午後のイベントがキャンセルになり、簡単なセレモニーだけで終わったので、昼過ぎには日本のエージェントへの送稿も終わり、ホッとして皆でセンターの向かいのレストランでちょと遅い昼食を食べていた時でした。「日本の方ですか」と片言の日本語で初老の紳士が話しかけてきたのです。こういうのに慣れている同僚の輿水美智代が受け答えをして、早めに終わらせようとしたのですが、、「私は日本に行ったことがあります。」、「京都、鎌倉、奈良、きれいです。」と定番の会話が続くようになり、なかなか終わらせるきっかけがつかめません。

そのうち「私のお爺さん、日本人です。」、「野口英世、知っていますか?」と言うことになり、私を含めた5人、現金なもので「もちろん知っていますよ。子供の頃、伝記を読みました。」、「野口英世先生は日本人のパイオニアで、尊敬してやみません。」、「今回の学会でも野口先生の業績が顕彰されました。」、「いや~、どうも、どうぞお座りください。コーヒーでもいかがですか。」ということになった次第です。

彼はカエル・ケリーと名のりました。母親が野口博士の娘で、アイルランド系の人と結婚をしたので、アイリッシュ・ネームになっているとのこと。彼が生まれた時は、お爺さんはとうの昔に他界をしてしまっていて、母親からお爺さんの様子を聞くのみでしたが、それでも身内にしか分からないような、いろいろな興味のあるお話をしてくれました。

お墓がこの近くにあるので、是非皆さんをご案内したい、と言うことになり、我々が食事代の清算をしている間に、彼の8人乗りのSUVがレストランの玄関前に横付けされました。

ハイウェイに入るまでは、ちょっと渋滞でノロノロ運転でしたが、約30分くらいでニューヨーク市内のブロンクスにある墓地に到着し、立派な入り口の門を抜けて、穏やかな丘陵を彼のSUVでゆっくりと走り上がり、博士のお墓の近くで降ろしてもらいました。

この墓地は、1863年(南北戦争が1861年から1865まで)のオープン。おそらくこの時代は、ニューヨーク郊外、緑ばかりの美しい丘陵が続いていたのだと思われます。私も野口英世のお墓がブロンクスにあると聞いていたのですが、特に60年代から80年代にかけてはひどいスラム街で、麻薬の巣窟、犯罪の温床と言われ、近寄ることさえもはばかられる地区になってしまっていたので、行くチャンスを逃してしまいました。この10年くらいでこの辺りも大分良くなったようです。墓地のまわりはまだ何となく落ち着きのない街並みでしたが、以前のような恐ろしさはもうなく、明るい街並みになっていました。400エーカー(セントラルパークの半分)の敷地に30万人以上の人々がやすらかに眠っています。

ケリーさんの案内で、ちょっとわかりにくいロケーションの野口英世博士のお墓に着きました。お墓の写真を添付いたしましたので、是非見てみてください。我々のグループで一番年長の長谷川さん(仮名)が、途中で購入した大きな花束を供えると、お墓が光り輝くように見え、ケリーさんからいろいろなお話を聞いていたので、ものすごい親しみをおぼえて、お墓に引き寄せられて、笑顔で迎えてくれ、伝記に載っていた写真のような野口英世博士が抱き寄せてくれるような錯覚にとらわれてしまいました。長谷川さんは「明治の人はすごい」と一人でつぶやきながら、蝋人形のようにその場に立ち竦んで、しばらく動けなくなってしまいました。

みんなそれぞれの感動があったようで、涙ぐむ人もいました。

ケリーさんはそんな我々の様子を見て気を良くしたのでしょう、「ここには高峰譲吉のお墓もあるのですよ」と言いながら車に戻って、高峰家のお墓に案内をしてくれました。高峰譲吉博士は消化薬のタカジアスターゼを発明し、アドレナリンを初めて人工的に抽出した人です。高峰博士の方が年長でしたが、野口英世博士とも親交を持ち、ニューヨークの日本倶楽部で将棋や碁をよくさしたそうです。

帰りしなにケリーさんは名刺をくれました。その名刺には「野口英世顕彰会アメリカ支部専務理事」とあり、オフィスの住所はフィラデルフィアになっていました。

顕彰会に寄付をしてくれと言うのです。我々はもちろん何かお礼をしなければと思っていたので異議はなかったのですが、その金額を聞いてびっくりしました。一口500ドル。皆で500ドルと思ったら、一人一口500ドルと言うのです。ウ~ムと皆で顔を見合わせ唸ってしまったのですが、これは税金控除の寄付だし、ケリーさんの人柄も素晴らしいし、持ち合わせのない人は長谷川さんから借りて、しめて2,500ドル、ケリーさんに渡しました。彼も大喜びで、領収書は後で送るからと、その笑顔が印象的でした。

我々も何かすごいいい事をしたような上機嫌でそれぞれのオフィスに帰りました。

輿水と一緒にオフィスに帰り、一人で残って仕事をしていた手配の笠木さんに、その話をしたら、彼女の一言で、墓前で立ちすくんだ長谷川さん以上に足が震えて、その場にへたりこんでしまいました。

「あなた、野口英世に娘や孫がいたなんて聞いたことないわ!」

リーダー格の長谷川さんは、大笑いでこんなことは2度とあってはいけない、と警察に被害届けを出し、日本語新聞に恥をしのんで連絡をしました。

輿水と私は「まぁ、いっか」の心境です。

笠木さんによると、弊社でも両博士のお墓を訪ねるオプショナル・ツアーがあります。弊社のツアーは熟練ガイドと美味しいホットドッグ付と自慢をしていました。ケリーさんもまさしく名ガイドでしたが、話の真偽はまったくあてになりません。ジャズの巨匠、デューク・エリントン、マイルス・デイビスのお墓にも立ち寄ります。

是非、伊原様の秋からの着地型ツアーとしてご利用ください。また、御社のパンフレットにジョニー・カサハナ君のお墓の写真を活用されたい場合は、ワードでおくりますので、ご一報ください。

茹だるような毎日、健康だけには気をつけてください。

どうぞ宜しくお願いいたします。

詳しい詳細はコチラ


 

参照:ニューヨーク・ダックス・ツアーズ(株)

楽しいクリスマスとお正月、そしてよい新年をお迎えください。

ニューヨークから、お早うございます。

いよいよ押し迫ってしまいました。師走とはよく言ったもので、その語源についてはいろいろな説があるようです が、一般的な解釈として、師匠の僧侶がお経をあげるのに東西を馳せる月ということから、陰暦で12月のこと を師走と呼ぶようになったとのようですね。

いつも難しいながらも、日本語の豊で深い表現に感心をさせられ、日本語に親しめば親しむほどに、日本語を 学ぶ面白みや楽しみが増していきます。

この前もカーネギーホールのコンサートに父と一緒に行った時のことです。新しい言葉を覚えました。父の会社 の接待で日本からのお客様を本当は両親がお世話するはずでしたが、母が急用で出れなくなり、私が急遽ピ ンチヒッターを務めたわけです。

社長の奥田さん(仮名です)は70代前半くらいで、父とは一回りくらい年の差があるようです。秘書の田中さん (仮名です)はたぶん30代後半といったところのようにおみうけしました。

休憩時間に男性陣三人はトイレに行き、私はロビーでワイングラスを両手に持って待っていると、父とその社長は 楽しそうに笑談をしながらもどってきました。田中さんはトイレの列に並びそこねてしまったそうで、少し遅れて ロビーにもどってきたのですが、社長が「君、Mボタン、はずれているよ」と言うのです。田中さんはすぐには「Mボ タン」が何か分からなかったようでしたが、社長が「社会の窓だよ、社会の窓」と追い討ちをかけると、ハッと気づ いて壁際に走りより、私たちに背を向けてもぞもぞやって、照れ笑いを浮かべてなんとも、どうその場を取り繕って よいのかわからない様子で顔を赤らめて戻ってきました。

私は「Mボタン」や「社会の窓」と言う言葉は知らなかったのですが、田中さんの所作で容易に理解しました。

でも、その後、私は田中さんに勝ると劣らない大失態をしでかしてしまったのです。「Mボタン」のMはMaleのM だろうと想像できたのですが、チャックなのにどうしてボタンなのか社長に聞いてしまったのです。

一同大笑い。社長曰く「ウ~ム、昭和の言葉だよな。田中、君もMボタンって知らないのか?俺が子供の頃は チャックなんて気の利いたものはなくて、ボタンだったんだよ。ウ~ン、ボタンでチャックに変わった時は慣れなか ったんで、よくあれを挟んじゃって、痛かったよな~。」 再度大笑い。特に田中さんはその場に屈みこんでしまっ て、涙をながしながら勢い良く笑いころげました。

とんだ方向に話がそれてしまいました。スミマセン。

ニューヨークは恒例のロックフェラーセンターのクリスマスツリーの点灯式を終え、クリスマス気分が盛り上がっ てきました。ツリーには約3万個の豆電球が取り付けられ、美しく光り輝いています。ツリーの前のアイス・スケ ート場も氷が張られて先月末にオープン。アメリカ各地から、世界各国からそのツリーを見に、たくさんの人たち が集り、ショッピングやグルメ、コンサート、ミュージカルに忙しく走り回っています。

先週のクリスマス・ショッピング・デーの初日も、昨年の売り上げの約16%増しという数字が発表され、幸先の 良い出だしでした。また来年の大統領選挙を控え、失業率も8%台後半に下がってきて、景気も盛り返してきて いるような明るい感じもみえてきたニューヨークです。

伊原様も年末のツアーをひかえて、その準備などにお忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。私はいつもそうなの ですが、心せわしい年の暮れを迎えて、今年もどうやってこの1年を乗り越えようかと悪戦苦闘の毎日です。

「Mボタン」の話のついでと言う訳ではないのですが、世界の一流オーケストラと音楽家が集るカーネギーホール での下半期、コンサート・スケジュールを添付させていただきました。

是非、伊原様のセールスにお役立てください。

田中さんからその後、イーメールをもらいました。あの時、田中さんはどうしたらよいのか、穴があったら入りたい くらいでしたが、私の愚問(彼はユニークな質問と書いてくれました)で救われたと。

楽しいクリスマスとお正月、そしてよい新年をお迎えください。


 

参照:ニューヨーク・ダックス・ツアーズ(株)

ニューヨークの人たちは皆言っています、頑張っているよ、凄いよ日本と

街が震え、家が崩れ、津波が被災地の人々のすべてをのみこんでしまった週末から、そろろろ12日が過ぎようとしています。

最初の頃はただただうろたえながらツアーのキャンセル手配を進めるだけでしたが、時間が経ち、テレビのニュース画面でその悲惨な現実を知るごとに、涙があふれてとまりません。

何か私に出来ることをと考えるのですが、遠いニューヨークからでは、被害にあった方々に直接手をさしのべることが出来ません。被災をまぬがれた日本の皆様と直接手を取り合って支援をさしのべることもできません。私の役割はきっと「被災地を助けるために出来ることをやっていこう!」という気持ちをながく持ち続けることだと思います。

先日、久しぶりのマンハッタンでの仕事を終えて、グランドセントラル駅に入ろうとすると、
「Your small change(小銭)makes a big change(大きな変化) for Japan」と書いた募金箱を持った数人の学生達と目が合いました。

私は思わず財布ごと差し出してしまったのですが、彼女たちはやさしい笑顔で
「NO, NO, NO,今日は小銭でいいの...、ほら、こんなにたくさんのコインが集って重いのよ!」
とその重そうな募金箱を振ってみせてくれました。

一緒にいた親友のヴィッキーに
「あなた財布ごと出して、クレジットカードや免許証も入っているんでしょ!?、バカじゃん」
と罵られ、
「日本では、人が困っている時は財布ごと渡すものなのよ」
と強がりを言ったものの、涙があふれて不覚にもその場に泣き崩れてしまいました。

一瞬にして肉親の方々や全財産を失ってしまった被災地の皆様には、どんな励ましの言葉を送ってよいのかわかりません。ただ涙ばかりです。

ニューヨーク・タイムズのThe Opinion Pageに、作家の村上龍氏の寄稿が掲載されました。
「全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。」

私は遠く離れたニューヨークで、これから仲間達と励ましあい、助け合って、出来ることをながくやっていきます。
日本のために、東北のために祈ります、愛をこめて。


 

参照:ニューヨーク・ダックス・ツアーズ(株)

ブリムフィールド で充実の骨董探訪

ニューヨークとボストンの間、マンハッタンから約2時間半のマサチューセッツ州、ブリムフィールドで1年に3回(5月、7月、9月)、6日間限定のイベント「エクストラヴァガンザ」でゆったり時間をとって、其々のディーラーを吟味しながら骨董散策。
広大な敷地に5,000以上のアンティ ーク・ディーラーが集う、アマチュアの蒐集家はもちろん、プロのコレクターにもかかせない一大野外イベント。
3つのサンプル・プランを提案させていただきました。


資料はこちらから

海外へ出張・赴任・留学が決まったら


 

参照:ニューヨーク・ダックス・ツアーズ(株)

タングルウッド音楽祭 2011夏

マンハッタンから約3時間の快適ドライブ。ハドソン河沿いに北に向かってマサチュイーセッツ州に入ってすぐの小さな街がレノックスです。夏の間、ボストン交響楽団はその本拠地をこのレノックスのタングルウッドに移します。タングルウッドのある地方は、バークシャーと呼ばれ、夏は避暑地として、秋には紅葉の美しさでも知られています。

タングルウッドでのボストン交響楽団のコンサートは1937年から始まりました。初期の頃は夏の練習場だったそうです。その後、ボストン交響楽団の発展につくした音楽監督のセルゲイ・クーセヴィッキの名前を冠した簡易コンサートホールのクーセヴィッキ・シェッドが出来ると、タングルウッドの名前は世界に広まるようになり、ボストン交響楽団だけでなく、世界からたくさんの一流演奏家が集うようになり、特に小澤征爾氏が音楽監督を務めていた80年代から90年代にかけて、世界の一流音楽祭として発展をしていきました。

クーセヴィッキ・シェッドは扇形のシェッド(小屋)で、舞台の後を除いて壁がなく、後方は芝生の広場になっていて、お弁当などを持ち込んで、ピクニック気分で一流演奏家のクラシック音楽を楽しむことができます。夜は空いっぱいの星を眺めながら、一流演奏者の音楽を鑑賞する贅沢も楽しみのひとつです。

今年も魅力のあるプログラムが数多くあり、どのコンサートへ行こうか迷うところですが、豊かな自然を背景に、すてきな演奏に巡り会えたらいいなと、楽しみにしています。

また、ノーマン・ロックウェル・美術館やレッド・ライオン・インでの食事もかかせません。


資料はこちらから


 

参照:ニューヨーク・ダックス・ツアーズ(株)

流通視察の達人 in New York

「視察の達人、イワタ・ノリユキがご案内する」 - 岩田範行がパーソナルに企画、手配、ご案内をさせていただく、2人から出発の便利でお得な視察旅行です。
食品流通、ファッション/アパレル流通、建築デザイン視察、グルメ/レストラン最前線視察、不動産物件視察など、今年は人気テーマの視察旅行を視察の達人・岩田範行のわかりやすい案内でシリーズにしていきます。

マンハッタン郊外のホテルに滞在しながら、便利な3泊5日(延泊可)、忙しい仕事の合い間にでも出発が出来、ニューヨーク在住35年、ニューヨークの隅々までを知り尽くした岩田範行と共に、豊富な経験とノウハウをいかして、最新情報の発信地マンハッタンとその近郊の話題の店舗を短期集中視察。
ファーストクラスのプライベートサービスだから、お客様のスケジュールにあわせて、フレキシブルにプランを組むことが出来ます。


■岩田範行(いわたのりゆき)の略歴:
1949年生まれ。東京都出身。学習院大学法学部卒。
ノースウエスト航空羽田空港旅客課勤務後渡米。
ニュージャージー州のフェアレー・ディキンソン大学ホテル学部を卒業後、
マンハッタンの日系現地手配会社に入社。
一般観光案内から通訳、コーディネーター、企業視察などを幅広く担当して、
80年代半ばに独立をして、マンハッタンで「ニューヨーク・ダックス・ツアーズ」を設立。
ユニークで豊富な経験とノウハウを生かして
主に視察旅行の企画とリサーチ、コーディネートを中心に活躍。
妻、長男、長女、次女と2匹のダックスフンド、4匹の猫と一緒に
ニューヨーク郊外の自宅で生活。貧乏暇なし。


資料はこちらから


 

参照:ニューヨーク・ダックス・ツアーズ(株)

海外から見た日本の豚インフルエンザ報道

木蓮とさくらが終わって、はなみずきのピンクや白の花が新緑にはえ、秋の紅葉とならんで1年で最も美しいシーズンを謳歌しているニューヨークです。

この前、同僚の前田(仮名)が久しぶりにフランスから戻ってきたので、たまには贅沢にトライベカの「松玄」で食事をしようと、グラセン(グランドセントラル駅)で待ち合わせをしたら、ばったりとビッグ・アップル・ホテル(仮名)のミンさん(仮名)と鉢合わせをしてしまいました。

ミンさんは中国生まれのアメリカ人で東京の大学で勉強し、大阪や香港、パリ、ジュネーブのホテルでながく働き、中国語、日本語、英語はもちろん、フランス語をもこなすベテラン国際ホテルマンです。
以前はよく一緒に食事をしたり飲みに出たりしていたのですが、どうも酒癖がよくなく、酔うほどにからんでくるので、これはまずいと二人でつい顔を見合わせてしまったのですが、彼もそれを察してか、ホテルマン独特のなんとも憎めないしぐさで「どうも、久しぶりだから食事にでも行こうか」と誘いをかけてくるのです。「今日はダメ」と断ったのですが、例の豚インフルのために3つの大きなグループの予約を間際でキャンセルした負い目もあり、「ご馳走するからさァ」の一言で私たちは前言をあっさりと翻してしまいました。

ミンさんはいつも一連の楽しい食事が終わって酔いがまわり、コーヒーでリラックスするころ、南京事件の話しを持ち出すのです。そして両親はわずかな粟を食べ、筋向かいの日本人は白いご飯を腹いっぱい食べていたと言う説教になり、同時に彼の深酒が始まるのです。

でも今回は違いました。

予約をしていなかったので、長い間、脇のバーで待たされたのですが、そのバーの席に着くや否や、まだお酒を飲み始めていないのに、彼は日本での豚インフルエンザ騒動の話を始め、アルコールがまわってダイニングテーブルに移る頃は、食事には目もくれず、日本の軍国主義化の話に飛んでいました。

豚インフルと軍国主義、何の関係があるのかと、ミンさんと一緒にきたことを後悔したのですが、とにかく日本語と英語、たまにフランス語を混ぜた彼の語りは、酔いがまわる程に冴え渡り、私たち2人はただ合槌を打つだけで、言葉を挟む余地もなく、最後はな~るほどと不本意に納得をしてしまいました。

ミンさんは今月の連休途中まで仕事で東京にいて、豚インフルの過激な報道を目の当たりにしました。911やアメリカ軍のイラク進攻、SARS, 狂牛病などの報道のやり方から、日本の軍国主義化への疑いを持ち始めていたのですが、帰り際の「くさなぎくん」のテレビ報道で彼の警戒度がレベル4から5に引き上げられ、その直後にどの新聞やテレビにも「豚インフル」の文字が躍るようになって、「相次ぐ死者」、「さらに拡大」、「警戒度上昇」、「疑いが」などの定番の怖さを強調する手法がはびこり、テレビのナレーションも声優仕込みの変におどろおどろしく、報道なのかホーラーなのかいまや区別がつかなくなったニュース番組を疑うことなく鵜呑みする日本人をみて、日本の軍国主義への邁進を確信した次第です。

アメカでは、小学生の頃から自分で自分の考えを組み立てて自分なりの意見や判断をしっかりと持つように教えられてきました。
「Do not believe anything」、「Do not believe idiot boxes(愚かな箱=テレビ)」
と小学校の先生が言っていたのを思い出します。新聞やテレビの報道をよく吟味して判断しなさいという意味です。

まだミンさんの話は続きます。

ABC,CBS,NBC,CNNなど、たくさんのテレビ・ニュース番組があり、あれは右より、左よりといわれることもありますが、どれも日本のニュースのような、売らんがため、視聴率稼ぎの作為的な編集はなく、ただアンカーがわかりやすく解説をするだけです。
今度の豚インフルも新型でまだワクチンが開発されていないので、油断は出来ないものの、季節性のインフルエンザよりも症状は軽く、感染力も弱いことが分かってきたのに、これではまるで負け戦を勝ち戦に変えた戦前の報道と本質的に変わるところはなく、大変危険な現象だと彼はとらえているのです。

彼が言うのは、現状の日本ではいつでも大戦前のような軍国主義的な考えを持った潜在指導者が出現してもおかしくない状況で、その指導者が、日本人の気付かないうちに今回と同じ手法で日本人の過剰反応を誘い込み、なあなあ意識の国民の支持にのっとって憲法を改悪し、核武装をはたし、豚インフルの代わりに、あの忌まわしい「鬼畜米英」、「大東亜共栄圏」の文字が新聞やテレビの画面で踊るようになって、アジアへの侵略がまた始まるという方程式です。

「そんなこと、起こるわけないじゃん」、「政府は水際で感染者を防ごうとしているだけなのに」と前田や私が突っ込みをいれるのですが、この豚インフル報道の現状を目の前にしたら、ただむなしく響くだけでした。

日本人は平和に浸りきって、自分の考えをも組み立てられなくなってしまい、とにかく皆と同じことをやれば安心と、変に自分だけが目立つことを避けて、逃げ腰になってしまったことにも気付かない、その危なさを我々アジア系が声高に訴えていかなければいけないのだとミンさんは言うのです。

気が付くとあれだけ賑やかだった周りのテーブルもみんな退けて、店の人たちも手持ち無沙汰に愛想笑いを我々のテーブルに投げかかるだけなのに気付いて、あわてて退散することにしました。

外に出ると「タクシー」と大声で手を上げてイエローキャブウをつかまえてくれ、私たちをその中に押し込むと、どういう意味なのか「ごめんごめん、悪かったな」とウインクをしてくれ、ミンさんは反対方向に1人で歩きだしました。多分小娘相手では飲み足りないので、2,3ハシゴをするつもりのようです。

時々振リ向いて手を振ってくれるミンさんをタクシーの中から振り返ると、なんとなく今のアジア系の人たちの日本や日本人に対する彼らの感情(本心)を今回の日本での騒動を利用しながら、ミンさんが優しく諭してくれたような気がして、その話をするためにわざわざ今晩食事に誘ってくれたのかなと、そして日本での豚インフル騒動が日本人の気付かないところで、おそらく全部ではなく少数派と思いたいのですが、ミンさんの言うようにアジア人の日本へのあるいは日本人に対する警戒心や危機感をさらにあおっているのかと思うと、自分の頭の中では「そんな」と否定しながらも、どうも気が重くなってしまうのです。


 

参照:ホテル・プラス

新型インフルエンザ

1)フロリダ

4月29日の報告
フロリダではまだ死者も出ておらず、その影響はさほど気にされてないようで、特別な対応もされていません。
しかしながら、オーランドは世界一の観光都市ですので今後、問題発生の可能性はありうるかとも思われますが、現時点では身近な問題として とられてない様な状況です。

4月30日の報告
現地でもお客様方に健康管理について呼びかけていますが、他は特に普段と変わった様子はございません。
全ての期間が通常通り営業しており、空港でも検疫は行われていません。
街中やパークでマスクを着用している人を見かけることもありません。
普段と異なる点といえば、この4日間CXLオーダーが続いている事と空港で日本からご到着になられるお客様のみマスク姿で、異様な光景です。


2)サンフランシスコ

4月28日の報告
カリフォルニアは13名発生、サンフランシスコ・ベイエリア 9郡は0です。
サクラメントでメキシコ帰りの人に症状がでたそうですが、軽症とのことです。
空港は、日本からのお客様及びメキシコ行きに乗るお客様のなかにはマスクをしているかたが目立つようです。一般的には、平常どおりの状態です。

4月30日の報告
空港のカスタムの係員は全員マスクをしているとの事です。
これは、メキシコからのフライトがある為との事です。
マリンカウンティ(サンフランシスコからゴールデンゲートブリッジ渡ったところにある地域)では豚インフルエンザの発症の疑いのもたれている人が11名出ております。
この影響で、学校の一部が閉鎖されています。
サンマテオカウンティ(サンフランシスコから30分程南下したエリアから)でも2名ほど、疑いのある人が出ています。
マスクが売り切れている情報も入ってきておりますが、街中で実際にマスクをしている人を見かけてはおりません。


3)デンバー

4月28日の報告
DENでの豚インフルエンザについての報道:
コロラド州州知事ビル・リターJR氏が州レベルでの豚インフルエンザ対応策を26日(日曜)に検討。現時点でコロラド州内に感染者がいない ことを確認しているが、いくつかの州に感染者がでていることから、同州における感染者がでる可能性はあり得るとみて、万一の場合の対応対策を しき始めている。
対応策には同州健康・環境局における緊急対応センター開業時間を6AM~10PMに延長するなど、また同局職員による各地の地元、群レベルでのウイルス発見と進行状況の把握ができるようにしている。
教育機関では基本的な注意事項(手を洗う、うがいをするなど)程度を促しているが、それ以上の対応は現時点ではしていない。同様にデンバー 国際空港も特別な対応はしていない。また同空港内に特別派遣の救急隊員または医療スタッフを通常以外に配置はしていない。


4)ロサンゼルス

4月28日の報告
本日LAXに出入りしたガイドの話では、南米からの渡航者がほとんど皆マスクを着用していたが(何故か青いマスク)、それ以外は緊迫し た様子は伺えなかったようです。日本から到着のフライトにもマスク着用者が目立ちました。
【街の様子】
Newsなどで次第に警告が強化されてますが、一般的には全く緊張感がありません。
ロザンゼルス総領事館からは在住日本人に対して、各日系企業などを通して通告がありました。
メキシコでの感染被害状況、自己衛生管理の徹底、日本帰国後の対処についてなどです。

4月30日の報告
カリフォルニア州内の感染者が14名と報道されました。
ですが、以前緊迫した様子は感じられません。逆に日本人観光客から「誰もマスクをしていないんですね?!」と言わました。 感染者が出た地域の公立学校が一部休校となっておりますが、公共の機関など全て平常どおりです。
テーマパーク             全てOpen
美術館&ショツピングモール      全てOpen
ドジャーズ球場            Open
政府機関               全てOpen


5)ワシントン

4月30日の報告
これまでは、 主に保健省、議会、ホワイトハウス内で「豚インフルエンザ」について協議・検討が行われていました。しかしながら、昨日(29日)、メリーランド州の東部郊外地域において6名の感染疑い者が出たところから、州やカウンティー・レベルの教育省や保健省でも感染防止策の具体的な対応策が検討されるようになりました。
でも、今のところはまだ感染疑い者が危機的状況に陥ってはいません。
そのため、幼稚園や学校、あるいは公的機関の閉鎖は検討されていません。
ワシントンのダレス国際空港には、毎日、2便の航空機がメキシコ市とカンクーンから、BWI国際空港にも週3便の航空機がメキシコ市から到着していますが、特に入国便の制限にはいたっていません。感染者の入国に対して緊急対応できるように、医療検査スタッフをいつもより多く配置している程度です。
幸いにワシントン市内では、感染疑い症例がでていないため、特に目立った特別警戒態勢を引くほどにはいたっていません。今のところは、各公的機関やマスメディアの方から、予防のための防止策が呼びかけられている程度です。
そのため、各商店、レストラン、バーやパブ、ホテルでの営業は、通常通りに営業されています。


6)シアトル

4月30日の報告
シアトルは今のところ普段と変わった様子はなく問題ございません。


 

参照:株式会社トランスグループ

ニューヨークから、春のアメリカン・バレエ・シアターのプログラム

春の暖かさに誘われてつい寄り道をしてしまいました。ダウンタウンのホテルにバウチャーを届けに行った帰り道、42丁目でふらっとバスを降りて、いつのまにかショーウィンドーがパステル・カラーに華やいできた五番街のH&Mの脇をぬけて、ウエストサイドへ歩いていると、なんとも面白そうな看板が目に飛び込んできたのです。

「Ripley's Believe It or Not」(リプリーの信じようが信じまいが)という一風変わった博物館の看板で、ロバート・リロイ・リプリー氏(1890年生まれ)が35年にわたって、200ヶ国以上を旅して集めた常識では考えられない珍しい(奇妙な)コレクションが展示してあります。リプリー氏は古代やエキゾチックな文明を探訪して記録に残すことに専念しました。不夜城のタイムズ・スクエアにふさわしく、夜中過ぎの午前1時まで開いています。

どう表現したらよいのか、エキセントリックで言葉にはできない展示も多いのですが、日本の24インチ(約61センチ)の長い尾の雄鳥も紹介されていて、みんな本当なのかな、こんな変わった博物館、日本にもあるのかな、とつい笑みがあふれてくる、なんとも春らしい愉快な博物館です。

薄笑いを浮かべながら、日本ではほとんど紹介されていないのだろうなと思いつつ歩いていた帰り道、以前、メトロポリタン・オペラ・ハウスで出会った、日本からの初老の紳士のことを思い出しました。この時は春のオペラシーズンが終わって、アメリカン・バレエ・シアターの公演でした。偶然隣り合わせの席で一緒になったのですが、彼は私よりも大分前に席に着いていたようで、開幕を待ちきれないと言った興奮が、センスのよいしっかりとした正装の全身からほとばしっていました。

彼はもう自分だけのバレエの世界にはまり込んでしまっていて、幕間の休憩時間でさえ話しかけるチャンスがなかったのですが、終演とともに感極まって「ブラボー」と叫んで立ち上がって拍手を始めたので、私もそれにつられて立ち上がってしまいました。

プログラムが終わってホットしたのか、隣で拍手をしている私に初めて気付いたようで、目と目が会うと英語で話しかけてくれました。でもその英語が、こう言ってはなんなのですが、日本人独特の単語を並べるだけの相当なブロークンだったので、なんとなく感じはわかっても意味がつかめなくてキョトンとしていたら、日本人ですかと聞いてくれ、私は正確には違うのですが、まあそんなものなので、そうですと答えるとさらにホットした様子で、今回は何のためにニューヨークに来たのか、このバレエを見るのをどれほど待ち望んだのか、今夜のプログラムがいかに素晴らしかっ たか、最高の夜だったなど、一緒に出口へ歩きながら話してくれました。

その初老の紳士は数年前にながい会社勤めを終えて若い頃からの夢を叶えるべく、ヨーロッパを中心に1人でバレエ三味の旅を楽しんでいる途中でした。そして私が旅行関係の仕事をしていることを告げると、今度はこの旅がいかに苦労の連続であったか、特にヨーロッパはともかく、アメリカのバレエの情報が殆んど紹介されてなく、切符の購入も容易でなかったなどという話題に移っていきました。

ニューヨークにいると、そんなものなのかなとあまり実感がないのですが、やはりまだまだ日本にじゅうぶんに紹介されていないものも多いようです。オペラやニューヨーク・フィル、バレエに行ってもあまり日本人を見かけることもないですし、この「リプリーズ」にいたっては皆無でした。これはまさに私たちの努力不足に違いありません。

多分「リプリーズ」のような博物館をわざわざ見に来る日本からの観光客はいないかもしれませんが、バレエやオペラ、ニューヨーク・フィル、特にメトロポリタン・オペラ・ハウスでの公演に興味がある潜在マーケットも多いのに違いないと思われるので、アメリカン・バレエ・シアターの春からのスケジュールを添付させていただきました。今シーズンは日本人初のメンバー、加治屋百合子も活躍します。


 

参照:ホテル・プラス

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